ラジオCMとテレビCMとでは制作費にも莫大な差がありますが、その媒体の特徴からCM制作の手法にも大きな違いがあります。
テレビにあってラジオにないもの。それはビジュアル(映像)です。「一目瞭然」という言葉がありますが、例えば車内の広さが売りの自動車のCMであれば、テレビCMの場合「車内が広い」という説明をしなくても、大家族が伸び伸びと車内でくつろいでいるシーンを映せば視聴者にはひと目で広さが理解できます。しかしラジオCMの場合、どうしても何らかの言葉で車内の広さを聴取者に説明する必要があるのです。
もちろん説明のしかたにもいろいろあります。「従来よりも○○cm広い」と数値で説明する方法もありますし「ママは読書、僕はゲーム、お兄ちゃんは勉強」というように利用シーンを聴取者に思い描いてもらうような手法もあるでしょう。そこに誇張やジョークを織り交ぜて笑いを誘う手法もよく見られます。しかし残念ながらテレビのような「一目瞭然」的手法だけはラジオCMでは真似ができないのです。
ところで、テレビCMはその「ビジュアルがある」というしばりのために、常に何らかの「説得力あるビジュアル」を制作しなくてはならないという宿命を背負っています。
たとえば「密林」を表現したければどこかの密林まで撮影にいくか、密林の映像を買ってくるしかありません。俳優が密林の中をさまよっているシーンを撮りたければロケ隊を組むか、セット撮影に背景の映像を合成してCG撮影をするしかありません。
しかしラジオCMの場合、鳥の鳴き声や草木をかき分ける効果音などをバックに「ここはボルネオ島中心部の密林…」というナレーションを入れれば、聴取者は頭の中にありありと密林を思い描いてくれます。
また、先に例にあげた「車内が広い車」の広さを訴求するための撮影には、窓からカメラを入れただけでは不十分で、フロントガラスを取り除いたりドアを取り外したり、場合によっては車の一部を切断したりということも行われます。ラジオCMの場合は当然そのような必要はなく、また車そのものを用意する必要すらありません。
「一目瞭然」はテレビの最大の武器。しかしそれだけに「映像なしでCMを制作するわけにはいかない」という制約を持っています。テレビCMの制作料がラジオCMに比べて必然的に高額になるのはこうした事情もあるのです。
視覚から得られる情報のほとんどは直感的に理解できてしまうため、「何も考えず」眺めているということが可能です。ぼんやりテレビを眺めているとき、目は画面を見ていても、何も考えていないことが時々あると思います。しかしラジオによる音声情報は、その意味を頭で想像して理解することが必要になります。つまりラジオを聴いている間、私たちの脳はずっと働いているということです。
たとえば、ある栄養ドリンクのラジオCM。
夫:「体重減らすためにジョギングでも始めようかな?」
妻:「何言ってるのよ、あなた。増えるからダメよ」
聴取者はここで一瞬、「なぜジョギングをすると体重が増えるのか?」と考えさせられてしまいます。
妻:「洗濯物が増えるの」
意味がわかってしまえば他愛のない話かもしれません。しかし、聴取者が「なぁんだ」と思った瞬間、そのCMと商品名が記憶に残るという仕組みになっています。
もちろんラジオでも、学生が勉強をしながら、主婦が掃除をしながら、「ぼんやりと聴いている」という、典型的な接触形態=ながら聴取の実態がるのですが、同じCMでも、テレビCMとラジオCMとではこのようにコンセプトや制作手法が大きく違うものだということがおわかりいただけたでしょうか。